社会の“へり”を見つけておけば、転職は怖くない──スマートニュース松浦茂樹が変わり続けられる理由

期間ではなくミッションで考える

2013年3月に「ハフィントンポスト」日本版の初代編集長に就任すると、約1年半で1300万UUを誇る媒体に成長させることに成功。しかし、松浦はそのポジションに安住することなく、14年9月にはあっさりとスマートニュースに転職する。

それ以前のキャリアを振り返ってみても、ポータルサイト「livedoor」の統括シニアマネージャーとしてライブドアの経営再生に寄与して以降、時代を形づくってきたメディアを転々としてきた。

11年6月にライブドアからコンデナスト・ジャパンへ移籍し、『WIRED』日本版のウェブサイト立ち上げを担当。そうかと思うと、その9か月後にはグリーへと移り、「GREE ニュース」を統括する立場になっている。

松浦がひとつのところに留まることなく転職を繰り返してきた背景には、どのようなキャリア戦略があったのか。1年半、9か月という在籍期間の短さがたびたび強調されるが、「期間は問題ではない」と松浦は言う。

「期間ではなく、ミッションで考えているからです。ハフィントンポストの時には日本版を立ち上げ、軌道に乗せることまでがミッションでした。そして軌道に乗ったと判断する目安を月間1000万UUに置いていました。当初それには2年くらいは掛かるだろうと見積もっていたのですが、予想以上に短い約1年で達成することができたのです」

次のミッションが同じ会社内で連続的に発生する場合もあれば、どこか別の会社から声が掛かる場合もある。前者であれば7年間を過ごしたライブドア時代のようにそのまま同じ会社に居続けることになるし、後者であれば転職ということになる。

「期間は問題ではない」というのはそういう意味だ。

正しい行き先を指し示す直感は、客観によって磨かれる

結果として松浦は11年にライブドアを辞め、一足先に転職していた同社の上司・田端信太郎の誘いに乗るかたちでコンデナスト・ジャパンへと移った。そこにはもちろん転職せずにライブドアに居続け、新たなミッションに携わるという選択肢もあった。

自分が次に取り組むべきミッションがどこにあるかを知るには、どうすればいいのか。松浦は「最終的には直感を信じるしかない」と言う。直感と言われると身もふたもないが、もちろん話には続きがある。

「転職とは環境、つまり空間を変える行為です。空間というからにはそこには必ず『へり』があります。自分にとっての『へり』がなんであるか、言い換えるなら自分にとっての『楽しさ』を定義できていれば、次にどこへ行くべきかは自ずと分かるものです」

例えばコンデナスト・ジャパンからグリーへと転職することを選んだのは、スマートフォンがものすごい勢いで伸びている時代の空気を肌で感じ、いまやらないわけにはいかないという思いに駆られたからだ。当時のコンデナストでは、それをやるのに最適な環境とは言えなかった。そこが松浦の言う「へり」だったということだ。

「『へり』がどこにあるかを知るには、つまり直感を磨くには、人と会ってコミュニケーションを重ねるしかないと思います。それも、同じ空間にいる人とだけやりとりしていても距離感が同じだから意味がありません。空間の外へ出て人と会い、自分を客観視する必要があります。『へり』がどこにあるかは、そうすることで初めて分かります。だからビジネスネットワークが重要なのです」

コミュニケーションというからには、一方的に情報を受け取るだけでなく、自分からも提供できるものがなければならない。すると、しっかりとした実績とスキルを積み上げ、それに自覚的であることが前提になる。

「しっかりとした実績を積み上げ、組織の内外で誠実な人間関係を日頃から積み重ねていけば、自分が飛びつくべきミッションは往々にして向こうからやってくるものです。そして自分にとっての『へり』を常に意識している者であれば、あとはそれに飛びつくだけということになります」

だから松浦は、転職に際していつも即決だった。改めて迷うことなど何ひとつなかったのだ。

変化することでしか得られない楽しさがある

松浦が大学卒業後に最初に働き始めたのは、現在携わっているメディアの仕事とはなんの関係もない、大手自動車会社の宇宙開発事業部だった。そこで人工衛星開発のシステムエンジニアとして働いて1年ほど経ったある日、事業譲渡により職場そのものがなくなるという経験をした。

「社会人1年目にして、仕事というのは当たり前にあるものではなく、自分では思ってもみなかったことでなくなるものなんだということを知りました。それからはどうすれば食いっぱぐれないかを考え、ネットワークエンジニア、システムアドミニストレータ、システム営業など、泥水をすすってでも学ぶ時期と位置付けて、さまざまな仕事を経験しました」

そうやって身につけた数々のスキルが生きるかたちとなり、30歳になる年にライブドアに「潜り込むことに成功した」と松浦。このライブドア入社が、働くことが生き延びるためにあった20代と、自分にとってのミッションを追求し始めた30歳以降のキャリアの転換点と言えるかもしれない。

しかし一方で、松浦のキャリアにはライブドア入社以前から変わらぬ哲学が貫かれている。それは「動くことこそが生きることである」というものだ。

「動物は進化するものです。立ち止まることは生物的には死を意味します。だからキャリアを考える上でも、変化し、動き続けることが大事になると思っています。もちろん転職にはリスクが伴うから、恐怖がゼロということはありません。でもぼくにとって、変化がもたらすワクワク感は恐怖を上回るんです」

その原点は働き始めるよりももっと前、北海道で過ごした高校生時代にある。

札幌で生まれ、小中高とずっと変わらない環境で過ごしてきた。周りにいる友人は当たり前のようにそのまま北海道大学に進むことを目指していたが、そのままレールに乗るのが正しいのだろうかと疑問を感じていたという。

「人生を変えたい。そのためには環境を変えるしかない。そう思って大学受験を機に、右も左も分からないまま上京しました。ある意味、自分のキャリアはあの時スタートしたんです」

環境を変えることで、人生はいかようにも楽しいものに変えられる──。その後の松浦の歩みは、高校生時代に抱いたその考えの正しさを裏付けるものになったと言えるだろう。

文/鈴木陸夫 撮影/セドリック・ディラドリアン

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